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【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.3>

ドライバーの期待に応えるコントロール性

4輪マルチリンクサスペンション採用により、コーナリング性能は狙い通りの性能を発揮できるようになった一方、タイヤの対路面のグリップ力にはサイズによる限界が存在することになりました。
限界横Gでコーナリング中に後輪に更なる駆動力を付加するとグリップ力の限界を超えてスピンしてしまう。この限界走行時のアクセルコントロール性を上げるために開発されたのが4WDアテーサE -TSです。
通常は後輪にのみ駆動力を伝えるリア駆動として機能し、後輪がスリップを始めて前輪との回転差を生じると駆動力を前輪側にも与えるというのがその主要な機能です。
このE -TSシステムの採用により、コーナリング中のアクセルワークに応じてトラクションを増やすことができ、極めてスムーズな回頭性を維持することができました。
また高速走行時のリアタイヤのグリップ力を確保するため大型のリアスポイラーを採用しました。
このスポイラーにより300km/h時にリアタイヤに100kgのダウンフォースを得ることが可能になりました。
また、R32型スカイラインでは従来のHICASをさらに改良したスーパーHICASを採用しました。
 
スーパーHICASはドライバーの意図したとおりにクルマが反応するように後輪のトー角を制御するシステムです。
ドライバーがハンドルを切ると、後輪を一瞬逆位相に動かして回頭性を向上させて、すぐその後には前輪と同位相に戻し、回頭後の安定したコーナリングを与えるようにしています。後輪の位相角はステアリングを切る量や速さに応じて変化させ、ドライバーの期待に忠実に応えるようになっています。
また、中低速では大きめな、高速では小さめなトー角を与えることで、中低速時の回頭性と高速時の応答性、収斂性を高めるよう制御します。
こうして、エンジン性能、シャシー性能それぞれを極限まで高め、高い次元でバランスさせ冒頭に言ったように世界に通用するスーパースポーツセダンであるR32型スカイラインGT -Rが生まれたのです。

<完>


【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.2>

RB26DETTが残したもの

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1993年いっぱいでグループAツーリングカーレースは終焉しましたが、スーパースポーツセダンとしてR32型スカイラインの伝統はR33型そしてR34型と引き継がれていったので、基本設計としてRB26を変える必要は何もありませんでした。もちろん時代とともに車両の要求性能は進化していくの、正常進化はしていきました。
欲を言えばシリンダーブロックをアルミ化し、ライナーレス化をして軽量で全長を短くした設計にしたいというエンジン設計者としてのビジョンはありましたが、企業としての収益性、優先順位も考えなければなりません。
そして直列6気筒のRB26R34型でその役目を終了しましたが、その設計思想はVQエンジンに脈々と受け継がれていると言えます。
VQを企画したのは1989年ですが、この年はまさにR 32 型スカイライン-GT -Rを発表した年なのです。
私は幸運にもRB26に続き、VQエンジンの先行開発から携わることができました。むろんVQRBの後継に育てていくことは最初から考えていたことです。
VQは、量産エンジンとしては軽量、コンパクト、低燃費に徹した設計としましたが、基本骨格は、やはり600馬力以上のポテンシャルを持たせるように考えていたのです。例えば3L仕様のボア径をVH45エンジンと同じ93mmと大ボアにしたのもその一つです。
 
また、FF搭載用とFR搭載用でクランクピン、ジャーナル
軸径を変えているのも高性能に必要なポテンシャルを持たせる21 CLUBLIFE vol.211 2009 SPRING/SUMMERという思想から来ています。
つまりVQは日産がいずれ直列6気筒をV6に統合することを想定し、高性能フラッグシップエンジンであるRB26の役割をも同時に引き継ぐことを企画当初から考えていたのですが、ついにVQの発展形であるVR38エンジンを搭載して2007年にR35GT -Rが登場しました。GT -R搭載エンジンとしてVQが正式にRBの系譜を引き継いだこと、これは日産の技術史にとっては重要な意味を持つものだと考えています。
 
安心感を持って意のままに操縦できるシャシー
この世界に通用するスーパースポーツセダンを実現するため、「走る」、「曲がる」、「止まる」の性能を最重点に置きましたが、そのためのシャシー性能について話をします。
「コーナリング性能が高いだけでなく、いかにドライバーが安心感を持って意のままに操縦することができるか」これがシャシー開発のメインテーマでした。
つまり針の穴を通すような運転をして始めて速く走れるようなクルマではなく、ある程度の腕があれば安心して限界に近いところまで持っていけるクルマです。
そのために選択した主要なハードウェアとて、まず4輪マルチリンクサスペンションを採用しています。R31型まで長い間フロントサスペンションはストラット、リアはセミトレーリングの組み合わせを踏襲してきましたが、R32型からは全く新しいマルチリンクサスペンションを新規に開発、採用したのです。
 
4輪マルチリンクサスペンションのコンセプトは、コーナリング中も常にタイヤを路面に対して直立させ、タイヤ性能を最大限に発揮させて運動性能を高めると共に、進行方向に対するタイヤの向きを最適化して安定性を高めることを狙いました。
具体的にはフロントはダブルウィッシュボーンを進化させた、ハイマウント・アッパーリンクタイプ、リアはダブルウィッシュボーンを基本にラテラルリンクを追加し、この4輪マルチリンクサスペンションは作られました。
 
Vol.3へつづく


【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.1>

1989年、16年の沈黙を破って復活したGT-R。「GT-R」と名付けられた使命はただひとつ、レースでの勝利でした。しかし、R32型スカイラインGT-Rはレーシングカーではなく、国産初の「GT」という名を冠したスカイラインの1モデルとして生まれたのです。
デビューから20年たった今、R32型スカイラインGT-R搭載のRB26DETT型エンジン開発を担当した石田宜之のインタビューを、全3回に分けてお伝えします。


R32型スカイラインGT-RとRB26が目指したところ

 それは、最大トルクを少し抑えても高速の伸びのあるトルク性能を大切にしたのが理由です。確か、最初の試作で目標性能を超えていたにもかかわらず設計変更したのは後にも先にもRB26DETTだけだと記憶しています。いかにR32型スカイラインGT -Rが数値目標だけでなく、感覚性能に対しても高い目標を持っていたかが分かっていただけると思います。
 そしてGT -Rといえども一般ユーザーが日常的に使うことを想定し、品質の目標は他機種と同等になっていました。事実、渋滞走行やエンジンのちょい掛けなど、日常的な使い方で何の問題もないように開発されたのです。


それまでのエンジンとの違い

 RB26以前のエンジンとの違いは、エンジンを設計する目標性能の範囲が変わったことです。具体的には目標性能を生産仕様とレース用チューンアップを考慮した性能の2つにしたことです。R32型スカイラインGT -Rでは市販車として300馬力(実際は280馬力で生産)、そしてグループAチューンナップ時は600馬力と目標性能を2種類設定しました。
まず、参戦を予定していたグループAはなるべく市販車に近い車両でレースを行うというルールだったので、レース用に改造する場合の制約条件がかなり厳しかったのです。だから、耐久性の基本となる本体系構造部品や性能の基本となる吸排気系の部品は交換することなく600馬力を発揮させるスペックにしておく必要がありました。

 そこでレース用エンジンの性能が机上の空論にならぬよう、生産仕様と並行してレース用エンジンの開発を行いました。
このため、R32型スカイライン車両発表発売時には、すでに600馬力のレース相当使用での耐久性を確保し、グループA車両も完成し、耐久走行まで完了していたのです。つまり量産仕様と同時にグループAレース仕様も完成していたということです。グループA規則上は、継続して5000台生産を完了しないと公認をとれないので、グループAレース参戦は発表の翌年である1990年からでしたが、技術的には出ようと思えばすぐにレース参戦は可能でした。

 またRB26エンジンで採用した技術は、あくまでも目標性能を達成するための技術に絞り込みました。
当初の計画生産台数は2万台であり、この台数で開発費などを成立させる計画だったので、野放図な新技術採用はできない相談だったのです。
それでも、ターボエンジンながら自然吸気に劣らないレスポンスを得るための各気筒独立スロットルバルブ、市販仕様で600馬力のポテンシャルを持たせるための大型インタークーラ、セラミックツインターボ、クーリングチャンネル付ピストン、ツインエアフロメータなど、目標性能を達成するためには多くの新技術を採用しました。

Vol.2へつづく

【一般車:その他モデル】サニーの車名は850万通の公募から

サニーの車名は850万通の公募から

サニーの発売に当たっては、大々的な車名公募キャンペーンが展開されました。これには、本格的な大衆車の登場を待ち望んでいる人々の関心を高めるとともに、新型車の車名を強くアピールする狙いがありました。
昭和41年(1966)の元旦の新聞に、新型車が1,000ccであることを伝え、その車名を募集する内容の広告が掲載されました。そして、2月の締切日まで、車両の概要を少しずつ公開して新型車の登場を盛り上げました。この宣伝手法はティーザーキャンペーン(じらし広告)と呼ばれるもので、大変話題になりました。
応募数は848万件(38万通り)にもなりましたが、「明るく快活で若々しい新型車のイメージにふさわしい」という理由で、その中から「サニー」が選ばれました。なお、車名公募は、後の初代マーチでも実施され、ニューモデルの登場を大いに盛り上げました。


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1966年2月19日、入選者の抽選会を兼ねて行われたサニーの車名発表会(東京千駄ヶ谷の都立体育館)

【一般車:その他モデル】実用自動車とリラー号

実用自動車とリラー号

自動車揺籃期には思いがけない先達が登場し、事業発展の礎となりました。米国人ウィリアム・R・ゴーハムは、大正8〜9年(1919〜20)に3輪自動車の開発に成功、これに刺激を得た大阪の事業家(久保田鉄工所社長ら)が、実用化をめざして設立したのが「実用自動車製造(株)」でした。同社は、大正15年(1926)に「ダット自動車製造(株)」となるまでの間に、ゴルハム式3輪自動車、同4輪自動車を約100台、リラー号を約200台生産しました。
中でも、大正12年(1923)に登場したリラー号は、日本の道路事情を考えた実用的な4人乗り小型4輪車として、後のダットサンのコンセプトにも大きな影響を与えました。エンジンはV型2気筒・1,260cc・標準馬力8.4馬力(最高出力10馬力)、A型セダン、幌型、ロードスター、トラックと車種構成も豊富でした。とくに、セダンの藤色のボディカラーは当時、非常な人気を呼びました。リラーとはライラック(藤の花)の意味でした。ロードスターは2人乗りながら、トランクに予備席1名分を持ち、最高速度56km/hの高性能を備えていました。
実用自動車はその後、国(軍部)の指導もあり、大正15年(1926)に東京のダット自動車商会と合併しますが、同社で活躍したW・R・ゴーハム(日本に帰化)は、引き続き自動車の開発に携わり、最後は日産の役員まで務めました。



大正12年に実用自動車が完成させたリラー号(写真は後期型)。DATとともに日産車のルーツとなったモデルです。標準馬力6kW(8.4ps)、4人乗り、最高速度56km/h。「リラー」とはライラック(藤の花)の意味です

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