【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.3>
ドライバーの期待に応えるコントロール性
【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.2>
RB26DETTが残したもの
【一般車:その他モデル】BNR32−スカイラインGT-R 開発インタビュー <Vol.1>
1989年、16年の沈黙を破って復活したGT-R。「GT-R」と名付けられた使命はただひとつ、レースでの勝利でした。しかし、R32型スカイラインGT-Rはレーシングカーではなく、国産初の「GT」という名を冠したスカイラインの1モデルとして生まれたのです。 | |
R32型スカイラインGT-RとRB26が目指したところ | |
それまでのエンジンとの違い![]() RB26以前のエンジンとの違いは、エンジンを設計する目標性能の範囲が変わったことです。具体的には目標性能を生産仕様とレース用チューンアップを考慮した性能の2つにしたことです。R32型スカイラインGT -Rでは市販車として300馬力(実際は280馬力で生産)、そしてグループAチューンナップ時は600馬力と目標性能を2種類設定しました。 まず、参戦を予定していたグループAはなるべく市販車に近い車両でレースを行うというルールだったので、レース用に改造する場合の制約条件がかなり厳しかったのです。だから、耐久性の基本となる本体系構造部品や性能の基本となる吸排気系の部品は交換することなく600馬力を発揮させるスペックにしておく必要がありました。 そこでレース用エンジンの性能が机上の空論にならぬよう、生産仕様と並行してレース用エンジンの開発を行いました。 このため、R32型スカイライン車両発表発売時には、すでに600馬力のレース相当使用での耐久性を確保し、グループA車両も完成し、耐久走行まで完了していたのです。つまり量産仕様と同時にグループAレース仕様も完成していたということです。グループA規則上は、継続して5000台生産を完了しないと公認をとれないので、グループAレース参戦は発表の翌年である1990年からでしたが、技術的には出ようと思えばすぐにレース参戦は可能でした。 またRB26エンジンで採用した技術は、あくまでも目標性能を達成するための技術に絞り込みました。 当初の計画生産台数は2万台であり、この台数で開発費などを成立させる計画だったので、野放図な新技術採用はできない相談だったのです。 それでも、ターボエンジンながら自然吸気に劣らないレスポンスを得るための各気筒独立スロットルバルブ、市販仕様で600馬力のポテンシャルを持たせるための大型インタークーラ、セラミックツインターボ、クーリングチャンネル付ピストン、ツインエアフロメータなど、目標性能を達成するためには多くの新技術を採用しました。 | |
Vol.2へつづく |
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